屏風岩青白ハング

横尾からの屏風岩
屏風岩から屏風の頭(2016夏)

 山登りをやったことのある人なら誰でも一度は屏風岩という名前を聞いたことがあると思います。全国各地にその地名はありますが、私の言うのは、高さ数百メートルの絶壁がそそり立ち、まさに屏風のようになっている岩というか、崖のことです。そうです、上高地の奥、横尾というところから見ることができるあの穂高の屏風岩です。

 若い頃、二十代の前半の頃ですが、ここに年に十数回も通ったりしたことがあります。

 週休二日制などもないときですから、土曜日の夜に岐阜を出発して、夜中に上高地の駐車場到着。秋の紅葉シーズンなどはマイカー規制で上高地まで車を入れられないもんだから、中ノ湯の近くの国道のちょっとした空き地に車をおいて、そこから釜トンネルを通って小梨平まで歩いてごろ寝。そして、日曜日には日帰りで屏風を登って帰ってくる。そんなことを随分とやりました。

 後輩などと行くとたまには連休となり、徳沢泊があります。でも軟弱な連中は岩場の取り付きまで行って急に腹痛になったり、肩が脱臼したりということも何回かありました。

 ディレッティシマというのは、岩山の山頂からしたたり落ちる水が真っ直ぐに落ちていくそのままのルートということで、それまでの岩登りが岩壁の弱点を巧みについて登っていたのに対して、なにしろ真っ直ぐに登っていくというルートのことです。当然、それに伴う困難度もそれまでのものに対して数段上になります。

 時代で言うと昭和40年代で、その頃おおよその岩壁が登り尽くされ、バリエーションルートが開拓されていく中で、よりスポーツ性・困難性を追求したクライミングの一つの流れの中で出てきた動きであったといえます。

 そして我々の倶楽部の大先輩である青木寿氏がその頃、屏風岩のオーバーハング帯である通称「青白ハング」に下から真っ直ぐに登って行くルートを、それも冬季に単独で開発したルートが青白ハングディレッティシマルートというわけです。

 もっとも国内ではダイレクトルートはいくつかあっても、このイタリア語のディレッティシマという名前のついたルートは私は他にあまり知りませんが。世界的な動きがあったことは確かです。

 現在は、フリークライミングと言うことで、人工の器具、つまりアブミやボルトを使うことなく、自然の中にあるちょっとした手がかり足がかり、ほんの数ミリですがそれだけを使って登り切るという流れがあります。ハーケンを岩壁に打ち込むことも極力避けるようにして、ナッツとかフレンズとかいう器具をを使って確保を行うというあれです。

 さらに今は、フリークライミングの時代も過ぎ去ろうとしていて、極限のクライミングと言うことでボールダリングや人工壁の登はんがスポーツクライミングの主流と言うことになっているようです。

 まあ、アルピニズムはまた別のところにあるようですが。そんな屏風岩の紹介とか時代の流れの批評は別にして、先日書類を整理していたら懐かしい記録が出てきました。車の免許を取る前の年。4月に岩登りを始めたばかりの年の記録です。いわゆる岩登りの本番は2回目の時のはずです。この記録の後は、岩登りに忙しくて文章らしいものはどこにも見あたりません。ただ、日付とルート名とパートナーの名前が記してあるだけです。

 考えてみれば恐ろしいものです。たった1回しか本番経験のない、ほとんど初心者の私を困難度超一級、そのころの岩登りのグレードでは5級だと思いますが、そんな所へつれて行くんですから、やっぱり変な先輩ぞろいだったのかもしれませんうちの倶楽部は。

 昭和50年9月14,15と屏風岩をよじってきた。僕にとって大変貴重な経験なので少し記してみようと思う。

 岐阜発19時38分の列車に乗り、ちょうどうまい具合に「きそ4号」の改札に紛れ込む。ここで明神(五峰左方カンテ)へ行く木村さんと宮本さんと一緒になる。木曽福島で列車を降り、しばらく待って上高地行きのバスに乗り、朝6時には上高地に着いてしまう。

 我々は明神よりも時間がかかるのでここで木村さんたちと別れて徳沢まで急ぐ。徳沢で朝食をとり、横尾で身を軽くして1ルンゼ下の取り付きへ10時過ぎに到着。取り付きにカラビナがハーケンにかかったままになっているので二人して一生懸命にとろうとするが固くてとてもとれない。惜しいことをしたと言いながら2ピッチで横断バンド。カラビナをとろうとしたのと、僕がアブミをこんがらがらせてしまって、ここにくるまでにだいぶ時間がかかる。さらに2ピッチ登って二段テラス。このテラスはかなり広く、時間も1時を回っているので昼食とする。

 どこの誰かは知らないがこんなところでキジを撃つやつがいる。キジのにおいをかぎながらの昼食はあまりおいしいものではないがまあ仕方がない。

 テラスからちょっと顔を出すとすぐ右が大テラス、その向こう少し上に扇岩が見える。1ルンゼの下の方に3人パーティが登っている。涸沢だろうか槍だろうか、先ほどからヘリが行ったり来たり、ちょうど同じくらいの高さを飛んでいる。まるで高層ビルの窓から顔を出して見ている感じだ。

 2時少し過ぎ、青白ハング帯に入る。小倉ルートはテラスのすぐ上のハングを左側へ巻いていっているが、我々のこのルートは逆階段状に重なるハングを越え、扇状大ハングを抜ける。二人用テラスを右下に見るところでビレーし、次は青木さん曰く「トンビの嘴」のような3mのひさしの下部まで青白ハング帯と黒いフェイスとのコンタクトラインをかぶり気味に登って行く。ここでもう5時をすぎていたのでラテを出し、僕はカメラをしまい不安定な感じでビレーする。ビレー点から宇都宮さんがこのハングを乗越すのを見ているとものすごく高度感があり「良い写真が撮れるんだが惜しむらくは暗くなりすぎブレてしまう」このときはまだ僕はこんな悠長なことを考えていた。

(山と渓谷社刊 日本の岩場:RCCⅡ著より)

 日が暮れてしまい、ラテをつけなくては何も見えなくなった頃ようやく「いいよー」と声がかかった。さあ一番の核心部へ突入である。ところがドッペルの黄色のザイルがどこかに引っかかって動かない。仕方がないのでこのザイルははずして1本で行く。

 この大ハングを越すには全く空中でのアブミの操作である。足を突っ張る岩もない。それでもいくつか掛け替え、さらに乗越し近くの白っぽいシュリンゲにアブミをかけそれに乗り移る。もう一つ乗り移るとハングを乗越せられると思い、掛け替えようと思ってバランスを移したときアブミがはずれて片足がアブミに引っかかった状態で逆さまになってしまった。なんとか体制を取り戻してもう一回、今度はフィフィをセットしておいてやったので一応安心である。しかし又してもアブミの最上段に乗り移ろうとするときにバランスを崩しぶら下がる。フィフィが長すぎるのでどうしてもバランスを崩すと頭が下になる。

 なかなか気持ちのいいもんだ。横尾の小屋には明かりがついている。1ルンゼの連中もラテで登っている。T4の連中がビバークの準備をしている。月が青白い顔を見せだした。ちょうど1ルンゼの上あたりである。

 さてもう1回やって見ようかと起きあがりかけるがどうも腕力がなくなったようだ。案の定またぶら下がってしまった。この時T4でビバークしている連中がどっと笑った。暗くて見えるはずもないから別に僕を見て笑ったのではないだろうが僕は頭に来た。「うるさい!」と言ってやりたかったがこんな状態ではちょっと情けなくて言えない。僕のラテはヘルメットからはずれてしまって下の方を照らしている。どこにボルトがあってどこにハーケンがあるのかわからない。面倒くさいのでラテのスイッチを切ってしまった。月明かりで大スラブのあたりがほの明るい。いい加減待ちくたびれた宇都宮さんが「どうしたのー」と声をかけてくる。さてどうしようか。

 ずいぶんとぶら下がったままで考えていた気がする。体力が回復したかと思ってもう一回くらいチャレンジしたがだめだった。アブミの最上段に乗り上がる体力がないのだ。ああ、小学校のときにもう少し逆上がりをやっておけばよかった。でも今ごろ悔やんで何になる。いろいろ考えて、しょうがないプルージックで登るしかないという答えになった。ザイルに頼るなんて不本意であるが仕方がない。幸いハングの一番先端にいるのでザイルを固定してもらえば足のつけるところまでは何とかプルージックで行けるだろう。でもプルージックの理論は知っていても実際に使ったことはない。1回くらい体重を預けたことがあるだけだ。どうしよう。でもやるしかない。月はだいぶ高く上がってしまった。 シュリンゲを出したりしているうちにラテの電池ボックスがはずれてしまってそのままスッと音もなく落ちていってしまった。ランプの部分はヘルメットの先に残ったままである。まあ、単1を4個も使ったやつだから軽くなって良かった。

 ホンの1mほどの高さを登るのに何時間かかったのだろう。宇都宮さんにザイルをフィックスしてくれるように叫び、了解して貰うのにさらに時間がかかり、そして固定されたザイルにシュリンゲを巻き付けて、2個のアブミで数センチづつ交互にずり上がって、やっとでハングを抜けた時には月はもう山陰に隠れようとしていた。

 ハングを抜けてすぐに終了点かと思っていたら、宇都宮さんのラテの明かりはまだずっと上にある。でもホールドが見えない、自分のラテはさっき落としてしまったのだ。またまた困った。

 そういえば自衛隊お下がりのペンライトを非常用に貰ったのをザックのポケットに入れていたのを思い出した。貴重品なのでずっと使わずにいたのだ。ペンライトをペキンと折るとほの明るく近くの岩を照らしてくれる。助かった。さらにありがたいことにここから上はほとんど人工のルートで、アブミの掛け替えでよさそうだ。ホールドを探さなくてもいい。本当に助かった。

 それでも、その上にさらにもう1ピッチあって終了点についた時には月も完全に沈んで真っ暗になってしまっていた。終了点近くでツェルトを張って紅茶を一杯もらって飲んで、やっとで落ち着いた。でもやっぱり疲れ切っていたのだろう。ザックをあけたりしているうちにカメラを落としてしまった。コロコロと2つくらい言ってどこかに引っかかった感じでもあったがザイルをほどいて探すのも面倒なので朝までほうっておいた。朝になって目がさめて見たら、下にはただ垂直の壁があるだけだった。ニコマートのFTNとの別れだった。